tekiryuの日記

世の男はすべてロリコン予備軍である。「allo, toi, toi」の論理

2018年冬アニメ『BEATLESS』は、長谷敏司先生の同名の小説を原作としていますが、先生の作品の中には題材と描写がアウト過ぎて、おそらくアニメ化不可能な作品があります。

それが、ロリコン殺人犯が主人公の短編「allo, toi, toi」です。                                f:id:tekiryu:20180119190209j:plain

ネット上で本作の考察や批評を見てみると、「言語の曖昧さが導く好きの誤認」という部分ばかりが大きく取り上げられ、小児性愛者で殺人犯という特殊な主人公を延長し、男=ロリコン予備軍という結論に帰結するこの小説の論理があまり語られないように思います。

当時、児童ポルノ法の改正議論がわりと乱暴な論理展開で進んでいて、ここを逃すと書く機会がないかもしれないとこういうテーマにしました。 (中略)  報道やネットワークなどでしばしば害あるものとして扱われる、いわゆるロリコンについて、嫌悪感を感じるかたに個人的にはおすすめしたい短編でもあります。そこには人間しかいないのです。*1

そこで、この記事では、「allo, toi, toi」の奇妙な論理展開を見てみたいと思います。

「allo, toi, toi」の設定についてはアニヲタWiki様の記事に詳しく書かれています。

 www49.atwiki.jp

1.ダニエル・チャップマンという特殊事例

「allo, toi, toi」の冒頭では、チャップマンの犯罪の概要について語られます。

舞台は2090年、8歳の少女メグ・オニールを誘拐し殺害したチャップマンが「allo, toi, toi」の主人公です。

はじめは、メグを殺害し、死体をバラバラにして遺棄した小児性愛者という極めて凶悪で卑劣な人物としてチャップマンは読者に提示されます。

しかし、2ページ目では、被害者の顔見知りであるという点で、チャップマンは、小児性虐待を行う集団として最も大きなグループに属し、かつ、児童にも成人にも性的興味を示すという点で、小児性犯罪者の内で最もありふれた群に入ることが示されます。

この時点で、チャップマンは児童の殺害、死体損壊、遺棄を行った特殊な人物でありつつも、小児虐待を行う者、性的な嗜好についてはマジョリティに属することが指摘されます。

2.ごく普通の男としてのチャップマン

自分がどんな人間かと問われれば、平凡そのものだとチャップマンは答える。*2

チャップマンの犯した罪の説明が終わると、最も「卑劣な犯罪」を犯した犯罪者として刑務所の最下層のカーストで生活するチャップマンの姿が描かれます。

そんな生活に苦しめられるチャップマンは、ニューロロジカル社が開発したITPという技術を応用して、脳内に本人の思う理想の少女の幻想(アニマ)を見せることで、実際の性犯罪を防止する技術の被験者となります。そして個室とテレビというささやかな見返りを貰います。

三次元ビデオカメラの宣伝に、五歳くらいの少女が芝生の庭で色とりどりの風船を追いかける映像が使われていた。膝上までしかないワンピースの裾が、太ももでけるように弾んでいる。親には子どもの記録を取りたい欲望を、独身の男性には少女への劣情を掻き立てさせる、巧妙な手管だ。 「子どもがどんなに魅力的か、おまえたちはみんな、わかっていないふりをするんだ。ガソリンのタンクを持って火遊びをしているようなもんだ。かならず火事は起こる」 チャップマンは平凡な男だから、テレビを見ていると、自分の道徳で世相を切るようなひとりごとをつぶやく。*3

ここで描写されるチャップマンは、視聴する番組を除けば、ごく普通の人間です。私達もテレビを観ていて、ワイドショーで取り上げられる残虐の事件の犯人やバラエティの過激な企画に対して批判をすることはあるのではないでしょうか?

また、チャップマンのセリフも示唆的です。殺人犯の弁明としては責任を放棄する最低の言葉ですが、「子ども=尊く魅力的な存在」という社会的観念を誤認することで、誰もが小児性愛者になりかねないことを暗示しています。

3.なぜ子どもを性的に「好き」になるのか?

リチャード・ゲイは、ニューロロジカル社の科学者で、チャップマンとITPの観察と評価を行っています。 刑務所での面会において、リチャードから小児性愛を生み出す脳の仕組みについて語られます。 その仕組とは、子どもは素晴らしいものだという社会的な「圧力」を人の脳が社会的に望ましい「好き」と性的な「好き」に分化させられなかったというものです。この分化を上手く行えると、子どもを慈しむ正常な人間となりますが、失敗すると、社会的、生物学的に望ましくない子どもへ性的魅力を感じるロリコンになるのです。

4.分化の失敗はいつでも起こりえる

「allo toi, toi」の終盤、リチャードが自らの娘と向かい合う場面で、彼は、自分が「好き」の分化に失敗仕掛けていることに混乱します。

意識すらしないうちに、ごく自然に、引き寄せられるようにしゃがみ込んで、子どもと視線を合わせていた。娘の、妻に似た一途な切れ長の目を覗き込んでいた。 チャップマンに接近しているように思えた。だから、この瞬間、娘がそばにいる状況がただ怖かった。*4

結婚し、娘のいる正常なはずのリチャードが、好きの誤認というエラーを起こそうとすることで、この小説の主題、すなわち男はすべてロリコンになる可能性を秘めているという主張が完成するのです。

まとめ

「allo, toi, toi」はダニエル・チャップマンという一見すると特殊な小児虐待者を例に、小児性愛が脳のエラーによって起こる社会的な病であり、どの男性にも生じ得るものとして描こうとしていると思われます。

さて、話は変わりますが、そんなヤベー小説を書く人(いい意味で)が単行本二段組約650ページを費やしたのが、小説『BEATLESS』です。 この記事を読んで興味を持った人は、ぜひアニメと小説の『BEATLESS』にも興味を持っていただければ嬉しいです。

*1:青灰色blog(移行版)(SF短篇集『My Humanity』あとがき http://blog.livedoor.jp/sat_hase/?p=2

*2:『My Humanity』 p83

*3:『My Humanity』 p84-85

*4:『My Humanity』 p155-156